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▲新刊'朝鮮の飛行機、再び空を飛ぶ'イ・ポンソプ著/サイエンスブックス/216ページ/1万9500ウォン
壬辰年に倭国の怪獣たちが荒れ狂った時、嶺南(ヨンナム)地域の孤城が幾重にも包囲され、すぐにも陥落する危機に瀕しました。この時、城主と非常に親しい人の中に、普段とても風変わりな技術を持った人がいました。彼が飛車を作って乗り、城内から飛んで友を乗せ城外30里を飛行後、着陸して外敵の刃を避けました。-「飛車弁証説」より
1903年12月17日、米国ノースカロライナのある浜辺で飛行機一機が飛びあがった。それは世界初の飛行機、ライト兄弟が作ったフライヤー号だった。しかし、それより300年も先んじた1592年に朝鮮の空を自由に飛んだ飛行機がある。それが飛車だ。
この年に日本が朝鮮を侵攻して勃発した壬辰倭乱(文祿の役)の激戦地になった一次、二次晋州城(チンジュソン)戦闘で朝鮮の下級軍官である鄭平九(チョン・ピョング)が開発して人と物資を輸送し大活躍したと伝えられる。朝鮮末期の実学者、李圭景(イ・ギュギョン)は『五洲衍文長箋散稿』の「飛車弁証説」にこの驚くべき飛行装置に関する記録を残した。
航空科学者イ・ポンソプは'朝鮮の飛行機、再び空を飛ぶ'で永く伝説の中に埋もれていた飛車の実体を私たちの歴史と技術の中から一つ一つ明らかにした。韓国とロシアで航空工学を研究した著者は飛車の存在を記録した代表的な朝鮮時代の文献「飛車弁証説」を糸口にして韓国の伝統科学技術と先端航空工学の成果を融合し、歴史的に実存可能な飛行手段として飛車の可能性を証明した。
(中略:伝承の経緯)
著者は永く飛車の核心的な根拠として認識されたイ・ギュギョンの「飛車弁証説」の内容を綿密に分析して、この文で言う飛車は今日のような飛行機が存在しなかった19世紀始めの朝鮮の観点から空を飛べると伝えられたすべての機器を総称する単語だった事実を鋭く指摘する。
従って古代中国の想像の装置から18世紀に流行した熱気球のように、この文に登場するすべての飛行装置がイ・ギュギョンの飛車と関連があるわけではないから、飛車の構造や原理に関する既存の認識は全面的に再構成しなければなければならないとこの本は強調する。
2部では著者が直接、各種文献と実際の事例で確認した朝鮮の伝統科学と現代の先端航空工学を結合させて飛車の模型を復元していく興味深い過程を含んでいる。飛車の胴体から、翼、先頭部、尾翼、推進装置まで各部分の構成原理と諸々な原因を詳細に検証し、離陸から着陸に至る実際的な作動方式もやはり徹底して写実的に究明した。
著者は伝統的ハンソン(帆船?)の帆構造が現代飛行機の翼構造と同じだという事実を知って、風を集めて流れるようにして揚力を得る飛車の飛行原理を見せた。帆柱が帆幅の真ん中を横切る西洋の場合とは違い、帆幅を1対2に分ける位置に帆柱を置く伝統ハンソンの方式は翼を上下で横切る骨組みのスパーが翼断面の3対7の地点に入る現代飛行機翼のスパー構造と非常に似ている事実を知ったおかげだ。
また、漆、韓紙、竹など朝鮮時代に広範囲に使われた材料の実用性を現代航空科学の観点で検証することによって、400年余り前、朝鮮の条件で製作可能だった飛行機・飛車の実体を具体的に再構成した。
不可能な空想とされた飛車を新しく私たちの空に飛ばせた著者は、世界初の飛行機、飛車に未来に向かった親環境飛行機の可能性を探すことで本を終える。
CBSノーカットニュース、キム・ヨンテ記者
ソース:ノーカットニュース(韓国語) 壬辰倭乱の時朝鮮の飛行機、飛車2016-06-0616:19
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