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キューバ革命の伝説的英雄として知られる、エルネスト・チェ・ゲバラ。31歳のときに広島を訪問した。
革命のわずか半年後、1959年7月25日のことだった。(ハフポスト日本版・安藤健二)
国立銀行総裁として、通商代表団を率いての来日。当初のスケジュールでは、広島訪問の予定はなかった。
しかし、8月6日の原爆投下の日を前に、「他の日程をすべて犠牲にしても、原爆慰霊碑に献花したい」というゲバラらの
強い願いから予定は変更。フェルナンデス大尉と駐日キューバ大使の2人だけが随行して、大阪から急きょ広島に向かった。
交通機関は、夜行列車で行ったという説と、飛行機を利用したという2説がありはっきりしていない。
県庁職員、ゲバラの問いかけに「ぎくっとした」
ゲバラらが原爆慰霊碑に献花する姿を、中国新聞のカメラマンが撮影している。花を手向けるフェルナンデス大尉の後ろで、
戦闘服姿のゲバラはうつむき加減で直立していた。その後、一行は原爆資料館を約1時間かけてじっくりと見学した。
ゲバラは館内のさまざまな原爆被害の陳列品を見る中で、それまで無口だったゲバラが、不意に通訳担当の広島県庁職員の
見口健蔵氏にと英語で問いかけたことがあった。
「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」
ゲバラが原爆の惨禍に憤りをみせた瞬間だった。三好徹氏の「チェ・ゲバラ伝 増補版 」(文春文庫)の中で、見口氏は
「眼がじつに澄んでいる人だったことが印象的です。そのことをいわれたときも、ぎくっとしたことを覚えています」と回想している。
「平和のために断固として闘うには、この地を訪れるのが良い」
広島訪問時、ゲバラは妻のアレイダに宛てて絵はがきを送っている。毎日新聞によると、そこには以下のように書かれていたという。
「私の愛する人。今日は広島、原爆の落とされた街から送ります。原爆慰霊碑には7万8000人の死者の名前があり、合計は18万人と
推定されています。平和のために断固として闘うには、この地を訪れるのが良い。抱擁を。チェ」
ゲバラは1961年にキューバで工業相に就任したが、やがてキューバを離れた。1967年にボリビアでゲリラ活動中、政府軍に射殺された。39歳だった。
ゲバラが原爆の恐ろしさを伝えたこともあり、キューバでは原爆教育に力を入れるようになった。
2017年の産経WESTは「現在でもキューバでは毎年8月6日と9日に国営放送で特番を組み、初等教育で広島、長崎の原爆投下について教えているという」と
報じている。
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