19/05/05 21:07:31.95 pTSEDHgY.net
特別な人がいてはいけないのである。
国家体制上の、生まれながらに特別な人たちは、居てはならない。それがデモクラシーである。人間平等主義だ。
ただし、生まれながらに、天皇家(皇室)だけは、
特別な人たち、ということにして制度(国家体制)として残した(憲法1条から8条)。
だから、中学生だった私は、「民主政治=人間は平等だと、学校で教えるのに、
どうして、天皇家という特別な人たちがいるのか」と私は自問した。
この疑問を、素朴に持つ日本人は、今も、相当多く居るだろう。
「なんで、皇室に生まれると、あんなにきれいなドレスを着れるの。いいなあ 」と、
素朴に疑問に思う女性もたくさん、いるだろう。
だが、日本国内ではこの疑問は、口にしない、タブーになっている。
それから、もう一つ。
正確には、日本国民が主権者だ、という考えは、間違いである。リベラル派は、これに縋(すが)り付く。
正しくは、国民の代表者たち(レブレゼンタティブス・オブ・ザ。ネイション)が、日本国の主権者(ソブリン)である。
だから、憲法41条以下で定める「国権の最高機関は、国会である」のとおりであり、
選挙選ばれた、国会議員たちという人間の集団が、主権を持つ。
そして、 そこから選ばれる、内閣(ないかく、キャビネット)は、
主権の内の、行政権、国家業務の推進の権限(エグゼクティヴ・ライツ)だけを持っている。
だから、日本国の意思は、対外的には(世界に向かっては)、閣議で決定したもの、である。
主権者とは、政治学では、権力者、支配者であるから、主権者・国民と書くと、
大勢の人である国民(民衆)が、大勢の人である国民(民衆、大衆)を、支配、管理する、ということになる。
これは論理矛盾である。支配者は、少数でなければいけない。
だから、今は、国家体制(=憲法体制)上、国民の代表者である議会の議員たちという集団、団体が、主権者なのである。
こう考えないと、理論の辻褄(つじつま)が合わない。
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