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東京は江戸湾に恵まれ、新鮮で豊かな魚介を、より一層新鮮に食する
工夫と研鑽を積んだ。
江戸前の鮨である。
大阪は大阪湾に恵まれていたにも拘らず、押し寿司という、保存性
のある食べ物しか発展しなかった。
これは、いかに大阪が工夫と研鑽を厭う気質か、ということを指弾
する前に、いかに大阪が衛生事情の悪い不潔な土地柄か、という
ことを酌量してやらなければならない。
衛生観念のない大阪では、なまじ活魚などを食べると、たちどころに
食あたりを起こす。
さらに、大阪湾こそ目の前にあるものの、オワイ、塵芥、廃水、牛馬
の死骸、時には行き倒れの死体まで流すもので、その不潔さ、汚染の
具合は目を覆うばかりだった。
それゆえ、大阪近海の魚を喰うとあたる、との風評が瞬く間に流れ、
本来これを「大阪食い倒れ」と称するのである。
海を大切にし、江戸前の幸をいとおしみ、素晴らしい食文化を育んだ
江戸の民。
海を肥桶として使い、貧相で貧しい保存食を営々と食べ続けた大阪の民。
同じ日本人でも、これほどの差があるのです。