08/04/02 23:14:14 5RfCTS/G0
・627年(鹿→鼠)
推古天皇35年。飛鳥時代。
【藤原くん解説】
まずこの推古天皇ですが、本名を額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)。又は豊御食炊屋比売命(とよみけかしぎやひめみこ)と言います。
彼女が遷座したとされるのが小治田宮(おはりだのみや)で、ここからリチャードの名前が取られているのですね。
飛鳥時代は彼女の即位から始まるとみなされるのが一般的で、倭国に仏教文化が花開いた時代であり、これらは「飛鳥文化」と呼ばれています。
この年は推古天皇崩御の前年で、すでに病に臥せっていたと思われ、この時期には政治実務にかかわっては居なかったと考えられています。
では誰が当時の大和朝廷において実験を握っていたかというと、それは蘇我蝦夷です。
推古天皇と言えば皇太子に聖徳太子(厩戸皇子)、大臣に蘇我馬子というトロイカ体制で仏教推進を進めたことで有名ですが
馬子が前天皇である崇峻天皇を、東漢駒(やまとのあやのこま)に殺害させた際に、なぜか前々天皇である敏達天皇の后で皇太后であった彼女が推挙されます。
また彼女の実施である竹田皇子ではなく、厩戸皇子が皇太子と摂政を兼ねていることからも
この時代には日本書紀に記された記事の裏で、数々の陰謀が渦巻いていたとする説が多く、今もなお定説化していません。