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・1287年(狐→鹿)
弘安10年。後宇多天皇。鎌倉幕府第9代執権の北条貞時の時代。
この年の卯月、8代執権時宗逝去。
この6年前、元寇による2度目の襲来、弘安の役勃発。
辛くも撃退するも、恩賞も少なく、戦費負担で窮迫した御家人達の不満が相次ぎ
徳政令の連発による一時しのぎの繰り返しとなる。
この結果、鎌倉幕府の屋台骨は揺らぎ始め、各地で殺伐とした雰囲気となった。
実はこの年、クビライは本格的に3度目の日本侵略を開始しており
過去2度の失敗の反省を踏まえた最大規模の作戦が展開されていた。
ところが突然、元の内部で反乱が相次ぎ、出兵出来る状態ではなくなりクビライの死と共に完全に頓挫した。
名もなき鹿の使い番は、元寇阻止を願ったのかもしれない。