08/04/01 18:56:08 7kX9Bwfe0
・1827年(狐→鹿)
文政10年。11代将軍徳川家斉の時代。
いわゆる「化政文化」と呼ばれる江戸文化の絶頂期。
続く天保が大塩平八郎の乱、大飢饉、改革と幕末のプレリュードとなるのに対し
比較的穏やかな時代ではあった。
この時期に面白い人物が居る。西洋医学を志しながら、オランダ語の難解さと費用不足のために
泣く泣く長崎から江戸に戻った新井白石である。
この4年後に彼に何故か「ターヘル・アナトミア」の原書を手にする機会が与えられる。
白石はこの機会を逃すまいと藩に掛け合い、無理矢理購入させて数年後に「解体新書」を刊行する。
長崎からの失意の帰路で、鹿の運び番を任されたのかもしれない。
しかし遠山金四郎景元に「鹿とあをによし」の刺青がなされていたとの解釈は、捨てがたい・・・つーか格好良すぎw
・1767年(鼠→狐)
明和4年。第10代将軍徳川家治の時代。
実はこの年の神無月(新暦10月22日)に江戸で推定M8級の地震が起きている。
この時も鼠がなかなか狐の運び番に、目を渡さなかったのだろうか?
ここで(完全に妄想だが)当時7歳の少年が大冒険の末「100歳まで生きて絵を描いていたい」と願ったとしたらどうだろうか?
20歳までの前半生が謎に包まれた江戸期最大の絵師、葛飾北斎である。