10/06/12 23:02:10 /8vbjGce0
・・・転載・・・
186 : ◆h26ZWDGHQc :10/04/23 01:37:45 ID:mmqsbxzd
私自身、「オカルト的知識」は社会的教養として一般的な人よりは多い、と自負します。本家に伝わる「ややこしい儀式」だって一応はこなせます。
ですから「娯楽・教養・興味」でオカルトと触れることは、文化を知ることであり、礼儀作法を学ぶことでもあるので、大賛成です。
また「オカルトという道具」を自己の目的の達成のために利用することも、好悪の感情を抜きにすれば、構わないと考えます。
勿論、取扱注意の劇物なので利用者が上手く目的の達成を叶えられるかは「神のみぞ知るw」でしょうが。
そして利用者が「オカルト」を信じていては「必ず失敗する。」と断言します。「オカルトの摩訶不思議な力」などに頼っても無駄で、
「摩訶不思議な力を信じる他人」を増やして「政治的に影響力を増す。」ことでしか、オカルトは力を発揮しないからです。
チラ裏云々で「オカルト板」なるものを知り、少し覗いた感想です。w
オカルトを「愉しむ人」とは「オカルト談義」をしても愉しそうです。w
オカルトを「道具とする人」とは「仕事」の付き合いは出来そうです。「仕事」以外は御免ですが。w
オカルトに「どっぷり浸った人」とは・・・、正直同席も御遠慮したいです。w
最後に「視える人」とか「感じ取れる人」の類は、
一部の視覚障害者・聴覚障害などのように「脳の働きにより実際に「像」が脳内に結ばれる場合を除き」、
私は根本的には信用も信頼もしません。wその他に抜きん出た能力があればその能力に関しては用いるでしょうが。
・・・転載終了・・・支援感謝