09/09/30 21:54:54 OTyyanyuO
科学的な根拠を言うと、人間が知覚情報を脳で最初に処理する「視床下部」の9割を、
視覚処理のための神経回路が占めている。音声と黙読の関係は複雑だが、
一方で「視覚」が人間の感受性の主体なのは確か。
多分、小説でも「~の匂い」や「~の音」という描写よりも「が見えた」
「ように見えた」「の色だった」という心理・環境描写が圧倒的に多いはずだ。
つまり「視覚に感動すること」が人間の本質だから、視覚と聴覚に不感症なのは
舐めているよ、芸術を。「この小説読んで泣いた」とか「この小説のキャラに萌えた」とか
滅多に聞かないでしょ。
また、芸術史としては19世紀から20世紀前半にかけて詩や短歌や俳句が完全に消えたように、
20世紀から21世紀前半に完全に消えていく文化だという学者もいる。
「自然科学の発達→自然主義→写真機の発明→強い自然主義」というのが
19世紀文化史の流れであり、この流れで「現実を言葉で模写するもの」として「小説」が生まれた。
だから元々、自然主義は絵画の思想なんだね。ゆえにそれを言葉に当てはめた小説は
生まれた瞬間から「劣化児」としての宿命を背負うことになる。
現実の歴史として、日本で「文学青年」がマジョリティとして生存できたのは
「映像で語る物語」である映画が普及していく1950年以降までだった。
「小説」が大衆的だったり、あるいは「高尚」と呼ばれた時期は100年もないよ。