08/11/10 00:01:00 Zf+JIJ9j
かつての九州の「大人の吹奏楽」は主に福大が引っ張っていっていた。
両O氏をはじめとして、あまり音の中身にはこだわらないにせよ、
丁寧に縦をそろえて、きちんとどのパートの音もしっかり聴こえる「わかりやすい音楽」に対してのこだわりがあった。
その福大生たちが卒業して、その他の九州内で活動してきた大人、中央から戻ってきた大人たちと共に、
主にその流儀が九州中の一般バンドで普及していったと思う。
これはこれで素晴らしいことだと思う。現に、縦を合わせる技術に関しては、全国のどの支部代表と比べても
劣っていないどころか優れていると思う。
そして、この当時の全国大会の一般の部は、一部の個人技術がずば抜けている一般団体(豊島・市川・尼崎・創価関西等)
を含めて、金銀銅の賞はついても「サウンド」そのものにはそんなに変わりはなかった。
全国で一般バンドのサウンドが大きく変わり始めたのは、88年豊島の「ダフニスとクロエ」でギャルド式の楽器編成が取りいれられ、
さらに91年に登場した楊氏率いる西宮で、たっぷりとした情感と、音圧がありながらまろやかな耳当たりのサウンド、
この辺りから、徐々に一般バンドはずば抜けたサウンドを持っている全国出場団体とそうでない団体との差が
大きく開いてくるようになった。
関東・関西勢を中心に、93年乗泉寺、95年西宮、97年リベルテ、サウンドに対するアプローチが大きく進化していく。
その他の地方の人間は、九州も含めて、こうした上位バンドが持つ「独特のサウンド」が何から生まれているのかといった
アプローチを、少ない情報量の中で試みていくことになる。