愛知県部落9at RIGHTS
愛知県部落9 - 暇つぶし2ch141:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/10 23:18:52 0nHFYz0n0
私の住居も、未解放部落に深い関係のある地域で、近くあった病院の西側の用水路に沿って、それがあった。
主に廃品回収で生計を立てていた部落を通りがかると、いつでもホルモンを焼く、実にうまそうな匂いが漂っていたのを記憶しているが、今は、ほとんど目立たなくなっている。
こうした集落は、この付近の烏森という地名に関係があり、尾張藩時代から藩内の死牛馬の解体、罪人処刑などに関係していたのでカラスの森となったと考えられる。
なお、こうした資料を探したが、同和政策のなかで一種の焚書が行われ、記録が廃棄されているのを確認した。
廃棄した当局こそ、未解放部落差別の最悪の張本人であり、自分たちの悪事を隠蔽するために行ったのである。


142:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/10 23:20:21 0nHFYz0n0
ただ、市内最大の未解放部落であった千種区王子地区、東海地方最大の部落であった甚目寺などに関しては、まだ生々しい記憶を持つ人が多い。 
王子地区に関しては、名古屋市当局が未解放部落の痕跡を消滅させるため、全部を買収し、跡地を大規模な市営団地に変えてしまった。
王子の地名まで消滅させられた。現在の市営新栄荘付近がそれになるが、残された八王子社だけが微かな痕跡である。(主神は牛頭で未解放部落に関係がある)
しかし、甚目寺町に関しては、まだ江戸時代からの部落産業として毛皮・肥料などが、相当な規模で続いている。

143:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/10 23:22:17 0nHFYz0n0
私の子供時代、青年時代、仲間たちの間で、部落差別感覚は明確に残り、生き続けていた。
名古屋の場合、被差別部落出身者のことを「ヨツ」という蔑称で呼ぶ者が多かった。
「四つ足」という意味で、人でない獣のを示唆するものだ。これには既製宗教による歴史的差別観が大きく関与していると思われる。
例えば、名古屋近郊で最大の未解放部落だった甚目寺町などでは、地元の曹同宗の寺が、穢多・非人身分の者が死ぬと戒名に必ずケモノ遍をつける決まりだった。
寺院は江戸時代、教育機関を兼ねていたので、その思想的影響力は非常に大きく、未解放部落差別システムの根幹に組み込まれていたのである。
今日でも、一部宗教団体で公然と部落差別を正当化するものがある。
部落差別自体が宗教的な思いこみを前提にしなければ成り立たないことから、その歴史的背景、合理性について真正面から議論することが必要不可欠と考えている。


144:あぼーん
あぼーん
あぼーん

145:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/11 01:45:45 lUexGwruO
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