09/01/05 19:46:42 DlrB5uGX0
江戸時代当時のエタ身分の他の特権の1つに草履の製造・販売があった。
その草履の中でも高価な者は牛馬の皮を用いて作られ、従ってここで死んだ牛馬の取得権と一体になっていた。
その死んだ牛馬を調達する場が各農村や武家屋敷であり、従って縄張りは、当時全域が宿場であった千住の一部を除く全域が農村で、且つほぼ全域が幕府天領であった現足立区もそうだが、
現東京都、旧武蔵国、関東各国のとどの尺度で見てもいずれかの小頭の縄張りに含まれていた。
そこに牛馬が存在したのだから当然の事。