08/11/09 23:55:41 qeqT4PKP0
というわけで、旅館の裏に朝鮮部落があったというのは間違いなさそうです。
私の金沢区のゼンリン(2002年度版)をふと見たら、なんとモーニング日屋と併記して
鄭さんというお名前が。さらにお向かいには金さんも。明らかに朝鮮名だと分かるのは
この2軒だけで周囲のお宅は判別つきません。資料に旅館名が書いてないので、
断言はできませんがモーニングが●田支部であった可能性は高そうです。
そこで疑問なんですが、旅館裏の朝鮮部落は国語講習所や朝鮮連盟ができたからこそ
周囲に同胞が集まり住むようになったと思われるんですが、
ということは旅館裏は戦後になって発生したということですよね。
それでは戦前にあったという、わりあい規模の大きい朝鮮部落はどこだったのか?
消滅した”海辺の60世帯”をさがすには”市バスの車庫”と”日本飛行機の地下工場のあたり”、
それと●田~富岡の旧海岸線がポイントですが、これらは横須賀人の私にはよく分からないので
誰かヒマな人いたらよろしくです。