08/07/19 11:34:25 fy7UuvUt0
尼崎のバカ殿のせいで利時老美夜が危険地帯に
「西宮の場合、領主は尼崎にいて西宮は農村だった。当時、武庫川は、
今の国鉄西ノ宮駅付近を流れていたが、ある年、大洪水で農地を押し
つぶし、領主は農業が出来なくなった村人を、”散所”とした。」
「賤民としての散所の民は、居住地区以外へ移り住むことを禁じられ、
これが集落の密集を助成しました。そのうち食えなくなって市民権を
放棄した百姓が流れ込んで散所の民は増えるばかり。一方、城下町と
して産業が発達すると貧富の差がますます拡大され、それが今日まで
生きているのです。」