08/09/19 06:30:57 sItUdsF30
:名無しさん@京都板じゃないよ :2008/09/01(月) 10:32:10
かつては寺社の雑役や死んだ牛馬の処理に携わる職業を指していたが、
後に皮革産業や刑吏に携わる人々の身分を指すようになった。室町時
代初期の資料には「かわた」と呼ばれている。皮革の扱いに水が必要
であったこと、また異臭が発生することなどから、居住地の多くは町
村の外れに形成された。また矢などの武具の生産にたずさ
わることも多くあり、それらの居住地は「宿」「夙と呼ばれ、町外れの「坂」
に形成された。関西では「枝村」(えだ村)その呼び方の隠語である、「糸木村」などと呼ばれていた 。
弓矢や皮製品は軍事物資と独占するため、時の権力者は被差別民の専業とさせ、
川の氾濫の恐れのある場所や、坂のある場所に「宿」(住居) とさせたことから、
被差別民の別称「坂の者」「矢の者」と言われるようになった。
また宮崎、大分では大きな神社に使える使用人(神人じにん)とよばれた、被差別民衆は、
神の御神徳を表す、巴の紋(三つ巴・太鼓などの皮革製品にも描かれた紋)をしようした。