09/03/04 12:40:39 gIMIA/hAO
戦後二十二年間、私は原爆について発言しなかつた。…
第一に、原爆に関しては、体験した者と体験しない者、被曝者と被曝しなかつた者といふ二つの立場以外、絶対ありえないからだ。
これがベトナム論などと根本的に違ふ点であり、そのことを忘れた発言はすべてウソである。
被曝しなかつた者が、いくら「おかはいさうに」と同情してみせても、そんなことで心慰められる被曝者は一人もゐない。
…広島に“新型爆弾”が投下されたとき、私は東大法学部の学生であつた。
…それが原爆だと知つたのは数日後のこと、たしか教授の口を通じてだつた。
世界の終りだ、と思つた。この世界終末観は、その後の私の文学の唯一の母体をなすものでもある。
ヒロシマ。ナチのユダヤ人虐殺。まぎれもなくそれは史上、二大虐殺行為である。だが、日本人は「過ちは二度とくりかへしません」といつた。
原爆に対する日本人の民族的憤激を正当に表現した文学は、終戦の詔勅の「五内為ニ裂ク」といふ一節以外に、私は知らない。
そのかはり日本人は、八月十五日を転機に最大の屈辱を最大の誇りに切りかへるといふ奇妙な転換をやつてのけた。
一つはおのれの傷口を誇りにする“ヒロシマ平和運動”であり、もう一つは東京オリンピックに象徴される工業力誇示である。
だが、そのことで民族的憤激は解決したことになるだらうか。
三島由紀夫
「私の中のヒロシマ―原爆の日によせて」より