09/02/21 17:27:32 Mu1Oksrd0
下記のいずれの立場にも可能性はある。
◆スマイリーキクチは女子高生コンクリート詰め殺人事件に直接的あるいは間接的に関わっていたという説
◇スマイリーキクチは女子高生コンクリート詰め殺人事件に一切関わっていなかったという説
この問題について(実際的に=力関係によってではなく)原理的に決着をつけるには、まず認識論と存在論の2つの領野について最終回答を提出せねばならない。
これは、認識論と存在論についての議論を抜きにした議論というのは、
類推を用いるならば、基礎工事も1階部分もつくっていない状態で、2階部分をつくり、なおかつ設置しようとしている行為であると言うことができるからにほかならない。
これは裁判員制度問題にも通じるが、どの世界了解が正しいかということが判明しない限り、そのうえに成り立っている事態についての正しさも判明しない。
これは次のことから導かれる。Aという立場が論証なしに正しくなるなら、反Aという立場も論証なしに正しくならねばなるまい。
しかし、これは(無)矛盾律に反する。
したがって、少なくともこの世界においては成立しない。
それゆえ、いかなる立場の正しさも論証なしには成り立たない。(背理法による論証)
もっとも、この議論では「正しいこと」と「正しいと論証できること」とが同一視されているのではないかという疑問は残される。
なお、物的証拠に依拠した議論も、当然のことながらおのおのの認識論と存在論を独断的に前提していることは言うまでもない。
たとえば、その物的証拠なるものが実在するのか、あるいはその他の仕方で存在するのか、実在するとしてそれが依拠する技術が絶対確実に正しいか等々といったことである。
(ということは、物的証拠があるからとか、物的証拠がないからとかいった理由のみによって、事件と関わっている、いないを判定することはできないということである。)
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