09/02/16 00:16:31 0
「上から目線」が新聞離れの理由-そんな新聞批判にドキリとさせられました。意外
だったからではなく、胸中の懸念への端的な指摘だったからです。
女性評論家によるその「新聞時評」は、本紙にではなく毎日新聞に載ったものですが、
見過ごせなかったのは手厳しい批判が新聞全体に及ぶものだったからです。
なるほどかつての新聞と現在の最大の相違点は署名記事が当たり前になってきたこと
でしょう。しかし、女性評論家はコラムもどきがいささか過剰ではないかとの疑問を投
げ、米国のオバマ新大統領就任演説に絡んでの一連の記事や使用されている語句のなか
に「上から目線」を感じ、読んでいて「あんたら何様」という気分になったというので
した。
重大なのは「今では新聞という媒体全般にこの種の不遜(ふそん)な空気が漂ってい
る」との指摘と「そのことへの嫌悪感が日本人の『新聞離れ』をひきおこしている」と
の診断でした。
もちろん新聞は記者のために存在するのではありません。政治家や会社経営者や役人
のためでもなく読者のためのものです。そのことを忘れた新聞は見捨てられる。耳に痛
いけれど肝に銘じなければならない忠言でした。
(中略)
民主主義には世間の雰囲気に流されない公的意見が不可欠で、新聞こそそのための公
器であるべきだ-というのです。
白川静の「字統」では「輿」は四隅に手をかけ輦(てぐるま)を担ぐ形。気分にすぎ
ない民意ではなく、人々に賛同され風雪に耐えられる意見づくりが論説の使命なのでし
ょう。
仕事や家事・育児に忙殺される国民は代表者に未来やあるべき社会の議論、運営を委
ねる民主主義システムをつくりました。その重要な一翼を担いたいものです。時には百
万人といえどもの気概で。
■ソース(中日新聞)(中略部分はソースで)
URLリンク(www.chunichi.co.jp)
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