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>>1(続き)
第2次大戦前、あるいは戦中、新聞報道には軍からの強い圧力があったことは事実ですが、この本を読むと、それだけではなく、
新聞の側にも、戦争へと国の背中を押した責任があったことが分かります。
満州事変以降、現地からの戦闘報道が読者の注目を集め、部数の拡大につなげられたこと、
軍が戦闘報道の貴重な情報源だったこと、一般大衆の間にナショナリズムが盛り上がり、
戦争批判をすると不買運動にすぐにつながっていったことなどが具体的な事例によって記されています。
そして、次のように自らを断じる。「朝日に欠けていたのは、一言でいえば、言論にかける『信念』ではなかったか」―。
○過ちを率直に認める姿勢、これからも期待
「信念」をないがしろにして、組織の発展と、生き残りのため、大勢に迎合していったと自らを告発しているのです。
この長期連載企画は、これから数十年、エポックメーキングな試みとして、その名を残すに違いありません。
組織の本当の力は、自らの過ちをどれくらい率直に認めることができるかによって決まるからです。
過ちを犯さない組織などというものはありえません。組織は成功すればするほど、過ちを犯しやすくなる。
過ちが起きれば、まず頭に浮上するのは、どのようにしてそれを糊塗するかです。それは新聞に限ったことではなく、
自らの胸に手を置けば、それぞれが大なり小なり思い当たることではないでしょうか。
なかんずく、社会的な影響度の大きい新聞をはじめとするマスコミの各社には、「新聞と戦争」にみられるような、
自らの過ちを率直に認める、潔い姿勢を、これからも期待したいものです。
ソース:朝日新聞
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