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●御手洗 冨士夫(みたらい ふじお) 氏のとりあえず略歴
キヤノン会長。経団連会長。内閣府経済財政諮問会議議員。
若者の人間力を高めるための国民会議議長。鉄道貨物協会会長。
1935年大分生まれ。 1961年、つまり、「25歳で」中央大学法学部卒業。
司法試験受験生だったが、案の定合格を果たせず。
同年4月、叔父が創業者のキヤノンにコネ入社し、その後、キヤノンUSA社長に就任。
その時代には、秘書に事前に中華、フレンチ、日本料理といった3件の予約を課していた。
その日の気分で選び、2件はキャンセルさせるというわがままぶりを発揮。
元社長で創業者の一人御手洗毅の息子、御手洗肇の死去を受けて、コネパワーで社長になる。
下丸子から敷地不足を理由に開発部隊を茨城や静岡に転出させたが、その跡地にはなぜかプールができた。
キヤノン社長時代には、従業員の反対を押し切って、夏休みの短縮、成果主義の導入、
フレックスタイム制の完全廃止、独身寮・社宅補助の完全廃止、
基本給以外の諸手当(残業以外の扶養手当、住居手当など)全面廃止などを強行した。
社員の福利厚生を廃止する一方で、キヤノンの役員報酬を2003年に1億3900万から
2006年の間に2億2200万と二倍近くに引き上げている。
また自身の出身地である大分に大型工場や湯布院に豪華保養所を建設した。
さらには大分県下の小学校にデジカメを無料で配布するなどの行為を行い、
「大分の小学生があげた成果はなんだ?」と一部社員から成果主義と矛盾する行為が皮肉られる。
ホワイトカラーエグゼンプション法案推進・擬装請負合法化・
外国に政治家が操られるのを防ぐため禁止されていた外資政治献金合法化・
法人税減税・消費税増税を推進している中心人物。