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鳥取には、ある意味、多すぎも・少なすぎもしない被差別部落がある。
校区に被差別部落を持つ小学校では、
5,6年次の道徳の授業のほぼ全てが同和教育となる。
その授業では、被差別部落出身者であることを、
クラスメイトの前で告白するという儀式がある。
しかも、これは父兄参観という形で執り行われる。
同和と銘打つと国の補助金を容易く獲得出来るということもあって、
財源の乏しい鳥取はこのような同和政策に力を注いできた。
そのような同和教育、そして告白というメインイベントに備え、
教員は嫌というほど同和関係の研修を受けることになる。
このような環境において、同和に染まらることが教員としての評価を得る上での
前提であるということは想像に難くないであろう。
これが、平等の錯誤の理由。