09/02/07 20:33:02 5eO2J8j90
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(私が「歴史的なことなので事実を正確に話したほうがよい。」と親父に勧めて話された内容です。
これが歴史的事実であることは防衛研究所戦史部でも認識している。)
死体の山のあちこちに放火された。
よく見ていると、死体と思っていたのが熱さに耐えきれずそっと手を動かして火をもみ消そうとする。
動きがあればただちに銃剣で刺し殺した。
折り重なる層をくずしながら、ちらちら燃えくすぶる火の中を、銃剣によるとどめの作業が延々とつづいた。
靴もゲートル(脚秤)も人間の脂と血でべとべとになっていた。
こんなひどい「作業」も、「敵を多く殺すほど勝つのだ」「上海いらいの戦友の仇だ」「遺族へのはなむけだ」
という心境であれば疑問など起こる余地もなかった。
動く者を刺すときの脳裏には、「これで戦友も浮かばれる」と「生き残りに逃げられて証拠を残したくない」
の二つの感情だけしかなかった。
これも作戦であり、何よりも南京城内の軍司令部からの命令「捕虜は全員すみやかに処置すべし」であった。