09/02/04 04:27:25 auB9LL/F0
農村出身だけど、昔は介護されてた農村の老人なんていなかったよ。村
に一人メクラのお爺さんが居たけど、トントン杖ついて溜め池の畔を一
人で歩いて隣の家のお婆さん宅(隠居屋)へ行ってお茶のんでた。他の
老人は歳とってもみんな野良で元気に働いてた。孫の世話もしてた。死
ぬ時は脳血管破裂か何かで、サッサと逝ってしまった。我が家は例外で
、お婆ちゃんとお爺ちゃんには、長い間、自宅で寝たきりだったけど、
肺炎にもならずに長生きして貰えた。枕元でお爺ちゃんにタバコを渡し
、火と灰とよだれの始末をするのは姉二人の日課だった。姉が学校から
帰ってくるのをお爺ちゃんは、何より楽しみにしていた。「お爺ちゃん、
ただいま!」と言うその声を。お爺ちゃんとお婆ちゃん二人の看護には
、農婦の母の苦労があった筈だけど、母から介護の苦労話を聞いた事が
ない。お盆になると子供達が山から採集して来た芭蕉の葉を3枚、お盆
棚の上に並べて、芭蕉の葉の上には仏壇から降ろして来た仏様や位牌を
、おごそかに置いて、カボチャ、キウリ、ナス、ぼたもち等をを並べ、
家族そろって手を合わせたなあ。「00義兄さんよ、(沖縄戦死)、爺
ちゃんよ、婆ちゃんよ、みんなで待ちよりますけん、どうぞ家に戻って
来て下さい。」と言ってた。おととし、母は88歳の春、村に山桜が満
開の満月の夜、自宅の布団の中で大往生を遂げた。その前の晩は自分で
風呂に入って、明日は老人クラブへ行く日だからと外出用の服を枕元に
置いて、普段通りに就床したそうだ。あざやかな散り方だった。