09/02/03 19:38:36 0
『東大合格生のノートはかならず美しい』という本が15万部も売れているらしい。活字離れに金融危機が
重なった出版不況の中、この数字はスゴイと言っていいだろう。東大に合格する生徒のノートが美しいと
聞いて「そんなバカな!」と思った筆者は、自分のノートを改めて確認した。しかし何度見ても、汚いのだ。
学生証には「東京大学教養学部」と書いてあり、確かに東大生なのだが、それでもやはりノートは汚いのだ。
はしごを外すような展開で申し訳ないが、東大ノート本の著者である太田あや氏のかき集めた200冊の
東大生のノートはすべて美しかったのかもしれないが、あえて断言しよう。
そもそも、東大生はあまりノートを取らないのだ。
なぜ「東大生はあまりノートを取らない」と言い切れるのか。結論から先に言ってしまえば、本当に東大生が
みんなノートを取るなり、まとめ直すなりの習慣が付いていて、それが美しければ、シケ対(試験対策委員会)
のような“伝統的官僚機構”はニーズがないので存続し得ない。ノートを取るというのはインプットではなくアウト
プットの過程なのだから、そんな作業に情熱を傾けるのは、以下に挙げる2タイプの数少ない学生だけだろう。
まず、授業に出ただけで勉強した気になる勉強下手な学生である。もちろん、1から復習しなおすので恐ろしく
非効率だが、この手の輩で東大に入るような人々はすべからく異常な勉強時間なので、確かに成績は悪くない。
次に、聞いた瞬間にすべてを理解してしまって、やることがないのでノートを作るという純粋な趣味人である。
これら趣味人は、級友の間では「神」とあがめられ、そのシケプリは何年にもわたって「神シケプリ」として
出回るというケースもある。さすが東大生の仕事だけあって、教科書よりも教科書に近いものができあがって
いたりすることもある。いずれにせよ、筆者のような凡人が真似をするべき所業ではない。
最後に東大生の名誉のために言っておくと、授業に出なかろうが、シケプリがあろうが、ゼミの選考や就職活動
などにおいて学校の成績(試験の点数)がモノを言ってくる。こうした成績による“競争原理”が働いているため、
実は多くの東大生は驚くほど勉強しているのだ。(一部略)
URLリンク(bizmakoto.jp)