【朝日新聞】「日本を『戦争のできる国』に戻したい人たちが改憲の動きを強めている」 ノーベル賞・益川教授、記者に平和を語る★6at NEWSPLUS
【朝日新聞】「日本を『戦争のできる国』に戻したい人たちが改憲の動きを強めている」 ノーベル賞・益川教授、記者に平和を語る★6 - 暇つぶし2ch1:春デブリφ ★
09/02/01 13:19:38 0
ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都産業大教授(68)は昨年12月にストックホルムで臨んだ
受賞講演で自らの戦争体験に触れた。そこに込めた益川さんの思いが知りたくて、戦争とともに始まった半生を聞いた。

受賞講演では「自国が引き起こした無謀で悲惨な戦争」という表現で太平洋戦争に言及した。
開戦前年の1940年生まれ。父は当時家具職人。5歳のとき名古屋空襲に被災した。

「焼夷(しょうい)弾が自宅の瓦屋根を突き破って、地面にごろりと転がる。家財道具を積んだリヤカーに乗せられ、
おやじやお袋と逃げまどう。そんな場面を断片的に覚えている。焼夷弾は不発で、近所でうちだけが焼けなかった。
あとから思い返して、発火していれば死んでいたか、大やけどを負っていたと恐怖がわいた。こんな経験は子や
孫に絶対させたくない。戦争体験はぼくの人生の一部であり、講演では自然と言葉が出た」

敗戦翌年に国民学校(小学校)入学。校舎は旧日本軍の兵舎跡。銭湯の行き帰り、
父から天体や電気の話を聞かされ、理科や数学が得意と思い込んだ。

「祖父母は戦前、植民地下の朝鮮で豊かな暮らしをしていた。高校生のころ、小学生だった妹が母に、
朝鮮での暮らしぶりをうれしそうに尋ねるのをみて、ぼくは『そんなの侵略じゃないか』と怒鳴ったことが
あったそうだ。戦争につながるもので利益を得るのは許せないと思っていた」

58年春、名古屋大理学部に入学。日本人初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士の
弟子の坂田昌一氏が教授を務める素粒子論教室で学んだ。
(続く)
朝日新聞 (武田肇)
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