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【赤旗】(4)領土返還要求の大義を失った自民党外交
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歯舞、色丹は、歴史的にいって、北海道の一部であり、千島列島には含まれません。し
かし、択捉、国後は千島列島の一部であり、だからこそ、南千島と呼ばれてきたことは、
日本と世界の常識でした。だから、“千島でないから返せ”という主張は、歯舞、色丹の
二島については成り立ちますが、択捉、国後については成り立ちません。
そして、国後、択捉が南千島であり、したがって千島の一部であることは、その放棄条
項を決定したサンフランシスコ会議でも、当然の解釈とされていました。アメリカ代表も、
その趣旨で発言していました。日本政府代表として出席した吉田首相も、放棄した千島列
島には歯舞、色丹が含まれないことを主張しましたが、択捉、国後については何の異論も
となえず、当時、「千島南部の二島、択捉、国後両島」という発言をしています。また、
この条約を批准した一九五一年の国会での政府の答弁は、「千島列島の範囲については、
北千島と南千島の両者を含む」(外務省西村条約局長)という答弁で一貫していました。
日本政府は、その五年後の一九五六年に、にわかにその立場を変更して、“南千島は千
島にあらず”と主張しはじめたのです。それが、国際的に通用しない、あとからのこじつ
けであったことは、当時、サンフランシスコ会議の参加国として、日本政府から見解を問
われたイギリスやフランスの政府が、“南千島は千島にあらず”という見解に同意するこ
とをきっぱり拒否したことにも、明確に示されました。
自民党政府が、こうして、スターリンの大国主義の誤りを是正するという大義ある立場
を投げ捨て、領土返還要求の根拠を、サンフランシスコ平和条約の勝手な「解釈」論だけ
に求めるという道を選んだことは、ソ連およびロシアとの領土交渉における日本政府の立
場をきわめて脆弱(ぜいじゃく)なものにしました。