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新聞がとても信用できるという例
小説家 高千穂遙のHPの2005年1月19日の日記よりコピペ
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まだ大学生だったから、30年以上前のことである。わたしは当時、朝日新聞の読者であった。
ある日の朝刊に、わたしが親しくしていただいていた某漫画家のコメントが掲載されていた。
その内容を読み、わたしは驚愕した。とてもじゃないが、その漫画家が言うような言葉ではなかったからである。
わたしはアパートをでて、その漫画家のもとに向かった。漫画家の仕事場に着くと、かれは硬い表情で、わたしを迎えてくれた。
新聞のコメントについて尋ねたところ、
「でたらめだよ。あの記事は」と即座に言い、
「朝日の記者が電話をかけてきて、『これこれに関して、あなたは古臭い因習だと思ってますよね』と訊いてきたので、
『そんなことはない。ぼくは、それはいいことで、美談だと思っている』とはっきり答えた。
なのに、新聞には正反対のことが書かれている。これはひどい。だから、さっきマネージャーに抗議をしてもらった」と、つづけた。
「それで、どうなったんです?」とわたしは問うた。
「記者はコメントをねじ曲げたことを認めたよ」と漫画家は答えた。
「じゃあ、訂正が載るんですか?」「それが、だめなんだ」漫画家は言った。
「記者が言いきったよ。『誤りは認めるが、朝日は訂正を載せません』と」
「そんな馬鹿な!」とわたしは叫んだ。だが、それは事実だった。朝日は訂正を載せなかった。
わたしが朝日新聞の購読をやめたのは、その日のことである。