09/01/11 01:02:36 0
― 確かにそうですね。
たとえば、どこか名前の知られた組織がミスや事故を起こして、それに対して批判が出て、社員が謝罪するというパターンがあって。
ネットでよく見るのは、その組織に所属している人間を徹底的に批判することなんですが、批判する側は、
いざその批判を自分が受ける側になったらどうするかというのは考えていないんですね。
批判をする側は、自分の発言をいわゆる社会正義だと思って書き込むんですけど、その個人に対して
「あなたは失敗したことはないんですか?」と問うと、みんな、おっとって引いちゃうと思うんです。
― それはなぜだと思いますか。
それは言葉に、「自分の行動」というバックボーンがないからです。「その時、自分ならどうするか」という肝心なところがないと、
机上の空論になってしまいますよね。頭の中のロジックだけで考えた正論というのは。
― 社会正義と個人は別物と。「自分ならどうする」というところが肝心なんですか。
そうですね。それが発言に責任を持つ態度だと思います。
ネットというのは、名前を伏せて発言ができるから、言いっぱなしになれるというのが「いい」んですよ。発言に相応しい行動を
とっているかどうかが問われない、安全なところにいられる。だから叩かれない。自分の身に危険が及ぶというのは、
名前をさらしているからこそじゃないですか。
匿名というのは、名前=「自分」がいなくていい状態なんですよ。
「人ごと」として発言できるから、その分、無責任になれる。言ったことに、責任を取らなくてもいいという。
責任を取らなくていいというのは、現実にはなかなかない場ですよね。
無責任に発言できるメリット・デメリットが社会を大きく変えた
だから匿名はダメだ、発言は必ず実名にしろ、ということを言いたいんじゃないです。
無責任に発言できるということには、もちろんメリットもある。そしてこうした怖さもある。
両方を含めて、ネットが利便性だけでなく、欲望やモラル、社会の雰囲気に至るまで、すごく世の中を変え、動かしているのを感じますね。
続く