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>>279
820 名前: 2 Mail: 投稿日: 2008/09/20(土) 07:18:13
1 村上市西真寺住職、本荘長弘師の証言(現在は兵五郎夫妻と道蔵(匡利)の妻とその子供だけの墓がある寺)
「小和田家の墓について毅夫氏(明治31年生まれ)が新潟市の学校に在勤中、父金吉の墓のみを新潟市の泉性寺に移した」
「なぜ祖父の妻と子及び曽祖父夫妻の墓を残していったのか。普通移すときはそっくりもっていくものなんですがねえ」
昭和61年(1986年or1987年)11月 恒、毅夫の両夫妻が村上に来たがここに墓参していない
2 新潟市泉性寺住職、広沢誠師の証言
「小和田家の墓は明治7年よりうちにあるが金吉と兵五郎の墓はない 匡利(道蔵)の墓だけがあります
…30年くらい前に毅夫さんが父金吉の墓をうちに移したということはまったく知りません」
3 ご成婚前の小和田家の墓参り
両親と娘が拝んだ墓は新潟市泉性寺にある「匡利(道蔵)の墓」であり「小和田家の墓」ではない
(昭和55年(1980)に小和田毅夫(恒の父)がこの泉性寺にある墓の台座だけを新調した結果異様なツギハギの墓)
墓の場所は撮影前前日墓地の中央に移動させた(それまでは墓地の端っこにひっそりと置かれていた)
4 金吉と妻竹野(旧姓熊倉)は毅夫の幼い頃別居し金吉死亡後、竹野再婚説としてない説があるが、
してないならば竹野のお墓は所在不明 よって毅夫は両親の墓参りをしたことがあるのかないのか不明
金吉と竹野の間には毅夫と妹ミヨシがいる(結婚後は星野姓、子供は二人)
5 専門家の意見
「 一説に小和田金吉は小和田道蔵匡利の三男と伝えるも年代齟齬して審かならず、仮に小和田兵五郎の三男の系に継ぐ。
おそらくは別流ならん歟」 (西日本大鑑より)
金吉が匡利の子なら匡利12~13歳の時に生まれた三男となり有り得ない 一言でいえば「この小和田家ではない」と言っている
6 新潟県村上市小和田本家の証言
TVでのインタビューにて老当主が「あちらの小和田家とウチが親戚とは初耳 こちらでもいろいろ調べてみたがわからない」と答えた
なお、小和田本家の過去帳に「金吉」の名は無い(小和田本家の証言)