09/01/10 20:52:42 0
侵略と言う言葉にしても、いつの間にか政府見解として定着してしまいましたが、実は村山談話
以前、政府は侵略という言葉を使っていないんですね。平成5年に自民党が野党に転落するまで
は、どの首相も侵略という言葉を使っていない。竹下さんも踏みとどまっていた。ところが村山談話
以降、政権が代わるたびにその継承を迫られるようになる。まさに踏み絵です。だから私は、村山
談話に換わる安倍談話を出そうとしていたのだが…。
村山さんの個人的な歴史観に日本がいつまでも縛られることはない。その時々の首相が必要に
応じて独自の談話を出すようにすればいいと考えたのです。むろん、村山談話があまりに一面的
なので、もう少しバランスのとれたものにしたいという思いもありました。
ところが、とんでもない落とし穴が待っていた。平成10年、中国の江沢民国家主席が訪日した際
の日中共同宣言に「(日本側は)1995年8月15日の内閣総理大臣談話(村山談話)を遵守し、
過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し…」
という文言が盛り込まれていたのです。この共同宣言は、昭和47年の日中共同声明、53年の
日中平和友好条約に次いで中国が重視していますから、日本が一方的に反古にすることは国際
審議上出来なかった。
結局、私は内閣総理大臣として、村山談話の継承を表明しなくてはなりませんでした。
しかし同時に、「政治が歴史認識を確定させてはならない。歴史の分析は歴史家の役割だ」と
国会で答弁した。野党からは「それでは村山談話の継承とはいえない」と批判されましたが、戦後
レジームからの脱却がいかに困難であるか、改めて実感しました。
■ソース 月刊「正論」2月号p54~55より、どろろ丸φ ★記者が書き起こし
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