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ダヌンツィオと付き従う無政府主義者(ダヌンツィオの取り巻きのなかで最多を占めた)
は憲法を発布した。その中味は「国家の最高原理は音楽だ」というものだった。
そして、裕福なイタリー財界はフィウメに多額の寄付をよせた。
イタリーはおろかヨーロッパ各地から芸術家・難民・ボヘミアン・冒険家・無政府主義者・ファシストが、
ただのパンとただの宿を求めて群れをなして来た。
ダヌンツィオの軍隊はそれまでの制服、
黒シャツに髑髏のマークを縫いつけ加えたものだった。
このデザインは後になりドイツのSSにより盗まれることになる。
カッターだけの海軍は中世の海賊を意味するウスコッティと呼ばれた。
連日連夜コンサート・パーティが開かれ、最後に花火が打ち上げられた。
そして朝、ダヌンツィオは市庁舎のバルコニーに現れ、
その日の即興の詩を読み上げた。この治世が18ヶ月続いたわけだが、
ダヌンツィオにとり金が尽きかけたときむしろ好運な事態が訪れた。