09/01/07 14:24:25 C2Lk5tk50
宗教は民衆の阿片であるとはマルクスの名言だけどそれをもじっていえば
喪家はネラーの阿片であるといえそうだな
喪家信者とは逆の形で依存してしまっているわけだ
なんでも喪家のせいだという論法で全てが片付くのはラクチンで愉快だろうが
全知全能の神に全ての原因を求める狂信者と同様にそれを繰り返していれば
やがて人格の退行と思考停止が始まるのは理の当然だろう
喪家信者以上に層化のことを考えて見たり書いたりし続けなければ気がおさまらないようになってくるだろう
それはまぎれもない依存だ。薬物中毒と一緒。
また見知らぬ人に向けて放った矢はことごとく自分に返ってくるよ
いつしか顔の見えない喪家信者に付狙われ監視され取り囲まれるようになるだろう
そんなことで何度も引越しを繰り返している人を知っているんだが、
「逃げてばかりいないでちゃんと被害届でも出して対応してもらえ」と言っても
耳を貸そうとしないし、絶対にやらない
遊び半分で不真面目な自分が現実の自分を裏切り続けることにもう
慣れてしまっているんだよな
ここまでくれば自業自得だと思うよ、本当に。
なんでも喪家に結び付けて考える癖をつけたのは自分なんだからね
他に文句も付けられないし、それが嵩じて関係妄想に至ったのも自分のせいだし
薬物中毒者にとっては幻覚こそが現実だから、外から何を言っても無駄だしね
まあ生きてくれてるだけでもありがたいと思うけれど
最初はみんな遊び半分なんだろうけど、毒は確実に回って身を蝕むんだよ
せめて永田みたいにだけはならないでほしいと思うね
マルクスにいわせれば、宗教の批判は現実への批判にかわらなければならない
のだそうだ
俺らにとっては現実の自分から逃げずに向き合って自分の悪い部分を見つめる
勇気を持てというふうに読み替えられるかもしれない
感想としてはそんなところだね