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・「自殺を4度試みた」。仙台市から生活保護費給付を打ち切られ、宮城県の審査で受給が
復活したことが4日分かった無職女性(76)は給付打ち切りで生活が困窮し命を絶つ寸前まで
追い詰められた。「市は暮らしに困っている人が保護費を打ち切られたらどうなるのかもっと
考えてほしかった」と訴えている。
「首をくくって死のう」
2007年秋。女性はビニールのひもを手に、山林をさまよっていた。生活保護が止まって
1カ月後のことだった。
木の枝にひもを掛けて首を通そうとした。だが、数年前に交通事故で重傷を負って後遺症が
残る長男(47)の苦しげな表情が頭に浮かび、思いとどまった。
月11万円の生活保護費の支給を打ち切られたのは同年10月。別に暮らす長男の看病で
自宅アパートを留守にしがちにし、生活実態がないとみなされた。
「保護を切られたら生きていけない」。打ち切りの撤回を訴えたが、認められなかった。
女性の話では、職員に言われる通りに受給の辞退届を書き、唯一の収入源が断たれた。
家財道具を全部売り払った。1万円にしかならなかった。食事は一日1食。買い置きの米を炊き
おかずなしで食べた。
月3万の家賃が払えない。5カ月分たまり追い出された。長男は事故の後遺症で仕事が
できず、長男と同居する長女(50)も低収入。2人の世話にはなれない。
冬の夜を仙台駅前ですごした。寒い。もう死ぬしかない。死に場所を求めて山林に向かい
死に切れずに戻った。数カ月の間にそんなことを4回繰り返していた。
長男の事故で世話になった弁護士に生活保護費が打ち切られたことを話したら、別の弁護士を
紹介してくれ、県に打ち切りを不服とする審査請求をした。
08年3月。市の判断を無効とする裁決を得た。再び保護費を受けられることになり、新しい
アパートを探した。
いま部屋にあるのはこたつと長女からもらった古いテレビ。ようやく取り戻した穏やかな暮らしだ。
「保護費を受ける立場で大きな事は言えない」と女性は話す。それでも一言、言いたい。
「困っている人に二度と自分のようなつらい思いをさせないでほしい」 (一部略)
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