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議員辞職後、次期総選挙で同じく千葉2区からの出馬を模索するが民主党に相手にされず、
独自に実父の地元である九州からの出馬を模索するも難航。またこの間、民主党の党籍の解除[5]、
親族の経営する会社に入社するも一年足らずでの退社[6]、その後親族の経営する公認会計事務所に
入るも同じくまもなく退社、さらに親族の傷害致死事件[7]や創価学会をめぐる自身の書類送検と
略式起訴および罰金刑、夫人からの離婚調停などトラブルが頻発し、次第に精神に支障をきたすようになる。
2008年11月12日、実父が関係する福岡県宗像市の医療法人所有の保養所で手首を切って抜け出し、
徘徊しているところを警察に保護された。また夫人との離婚が成立していたこともあわせて報道された。