08/12/17 07:19:11 0
>>5の続き
「もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。
よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。(中略)
戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。
しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に
向上したのである。」
侵略したとしても他の国がやっていたことなのだからこれを批判される「筋合いはない」との主張が、
日本政府と日本軍は欧米列強の植民地支配からアジアを解放するためにあの戦争を起こしたのだとの論旨と
臆面もなく共存している。それに少なくとも「筋合いもない」は論文の語彙ではない。読みながら気恥ずかしい。
有楽町のガード下の赤提灯で酎ハイを飲みながら口にするレベルの語彙だ。
このあとは引用だらけの記述が続く。でも、とてもご都合主義の引用だ。
審査委員長である渡部昇一上智大名誉教授の著書「日本史から見た日本人・昭和編」も、きちんとクレジットされている。
何とまあ抜け目がない。こうした気配りができるからこそ、この人は、この地位にまで登り詰めたのかもしれないと言いたくなる。
「日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、
アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。」
「そしてなんと37年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。」
右の2つのパラグラフで使われている「判明している」とか「なんと」とか「驚きである」などの大仰で安っぽい記述は、
たとえば「NASAは宇宙人とコンタクトを続けていたことが判明した」とか「地底人は実在していたから驚きである」式の
トンデモ本ときわめて近い匂いがある。こうして杜撰な引用と検証のない前提に謀略史観的な記述を重ねながら、
最後に論文はこのように結ばれる。
続く