08/12/14 12:22:07 IjsGWzXh0
ぜひ日本と中国の歴史教科書に載せてください。w
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通州事件
昭和12年(1937)冀東保安隊による日本人虐殺。
『極東国際軍事裁判速記録』第五巻によれば、萱嶋は救援のため通州に急行した
天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第二連隊長で、七月三十日(事件の翌日)午後四時、
現地に到着した。次はその萱嶋連隊長の証言である。
《城内は実に凄惨なもので、到る処、無惨な日本人居留民の死体が横たはつて居りまして、殆ど全部の死体には首に縄がつけられてありました。
頑是なき子供の死体や婦人の虐殺死体は殆ど見るに耐へませんでした。》
《旭軒とか云ふ飲食店を見ました。そこには四十から十七,八歳迄の女七,八名は皆強姦され、裸体で陰部を露出した儘、射殺されて居りました。
其の内四,五名は陰部を銃剣で突刺されてゐました。(略)家の内は家具、布団、衣類等、何物もなく掠奪されてゐました。
其の他の日本人の家屋は殆ど右同様の情態でありました。》
《錦水楼と云ふ旅館は凄惨でありました。同所は危険を感じた在通州日本人が集まつた所でありましたものの如く、大量虐殺を受けてをります。
(略)錦水楼の女主人や女中等は珠子繋ぎにされ、手足を縛された儘、強姦され、遂に斬首されたと云ふことでした。》
《先ず守備隊の東門を出ますと、殆ど数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横はつて居るのを目撃し、一同悲憤の極に達しました。
敵兵は見当りませんでしたので、夜半迄、専ら生存者の収容に擔りました。
「日本人は居ないか」と連呼し乍ら、各戸毎に調査して参りますと、鼻部に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、
腹部を銃剣で刺された妊婦等が、彼所此所の塵、埃箱の中や、壕の内、塀の蔭等から、続々這ひ出して来ました。》
《旭軒と云ふ飲食店に入りますと、そこに居りました七八名の女は全部裸体にされ、強姦射(刺)殺されて居りまして、陰部に箒を押込んである者、
口中に土砂を填めてあるもの、腹部を縦に断ち割つてあるもの等、全く見るに堪へませんでした。》