08/12/13 00:20:21 O
(>>1のつづき)
「熱かったね、苦しかったね」。父はそう声をかけるのが精いっぱいだった。死に顔を見ることも、
抱きしめてやることもできなかった。
4か月後に始まった裁判はとても苦しかった。事件後、怖くて新聞を読むことができず、検察側の
冒頭陳述を聞いて初めて、どのように娘が殺されたのかを知った。1億4000万円相当の貴金属を
奪った篠沢一男死刑囚(57)は、正恵さんら女性従業員6人の手足を縛り、生きたままガソリンをまいて
火をつけ、逃げた--。「正恵はどんなに怖かっただろう」。想像して、父は手が震えた。
娘に代わり、すべてを聞こうと、父は仕事を休んで公判をすべて傍聴した。「火をつけるつもりはなかった」と
殺意を否認した篠沢死刑囚から真摯(しんし)な謝罪はなく、法廷で遺族と目を合わせることもなかった。
「極刑を望みます」。父は証言台ではっきりと言った。その気持ちは今も変わらない。「悔しさと怒りで、
相手の死を願うことへの抵抗感は全くなかった」
◆
昨年3月、最高裁で死刑が確定した篠沢死刑囚は、東京拘置所の独房で暮らす。今夏、市民団体の
アンケートに対し、「死刑になるのか、きもちの整理がつきません。死刑とはざんこくなものです」と書いた。
正恵さんの両親の前に姿を見せたのは、03年4月の東京高裁判決の時が最後になった。
父は最近、篠沢死刑囚が何を考え、事件を反省しているのか、知りたいと思うようになった。
そして、この世で一番大切な娘を奪った人間に、親のつらい気持ちを直接伝えたいと願う。
だが、死刑囚に面会が許されるのは、親族や弁護士のほかは数人の知人らだけ。拘置所が特に
必要があると認めた人に限られるため、死刑囚本人が希望しない限り、被害者の遺族が面会できる
可能性は極めて低い。
それでも父は強く思う。「自らの犯した罪の重さを知り、心から反省してから、刑を執行されてほしい。
私が篠沢死刑囚に会うのは、無理なのでしょうか」(以上、一部略)
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