08/12/11 14:30:35 SUc7vwhW0
マルクスは、金持ちの親友エンゲルスに寄生し、大英図書館で資本主義国の自由な学問環境をエンジョイしながら、
資本論を書き上げた。 ご立派なことだ。ついでに、マルクスは娘を貧乏人のところに嫁にやる気は毛頭無かった。
レーニンは、聡明な兄がアレクサンドル三世の暗殺に連座して刑死したため、帝国政府の役人になる道を閉ざされた。
それで職業革命家になった。
愛すべきアナーキストの兄と違って、自分がのし上がるための革命運動だから、セクショナリズム満開で、
党内で何があっても絶対に自分の派閥を解消しなかった。
レーニン派は、ロシア社会民主党内では、常に絶対少数派であるにもかかわらず、ボルシェビキ(多数派)と名乗り、
絶対多数派をメンシェビキ(少数派)と呼び続けた。世間では、こういう奴を 嘘つきとか、詐欺師とか呼ぶ。
第一次大戦中、ロシア国内でアナーキストや社会革命党左派がオルグした兵士が反乱を起こし、
マフノ農民運動が盛り上がって、ロマノフ王朝の帝政が揺らいだとき、
ドイツ帝国参謀本部の知恵者が、ロシア帝国弱体化工作の一環として、封印列車でレーニンをロシアへ送り込んだ。
それまで、レーニンは亡命先のスイスで「私の目の黒いうちはロシアに革命は無い」とかいっておったが、
それをころっと忘れて、他人の起こした革命運動に乗っかった。
結果、成立した各党派相乗りの臨時革命政府では、ボルシェビキはごく少数派だったが、それでは我慢ならず、
10月革命たらいうクーデターを起こして、臨時革命政府を倒し独裁権力を握った。それがロシア共産党だ。
これが20世紀の大虐殺の始まりだった。 合掌。