08/12/06 02:33:34 D6U+UUu80
尚寧と三司官は、島津氏に忠誠を誓う起請文を提出させられた。
その内容は、「薩摩の琉球征討は理由のないものではなく、琉球が幕府や島津への義務を怠ったことに対する懲罰であった。
そのため、琉球はいったん滅んだが、島津の恩情により旧琉球国の中から沖縄諸島以南を知行地として与えられた。
この御恩は子々孫々にいたるまで忘れることはない」というものであった。
すなわち、島津氏の琉球侵略の原因は、付庸国としての義務を怠った琉球側にあったことを認めさせられ、
かつ島津氏の好意によって、沖縄諸島以南を王国の領土として与えられたことに感謝しなければならないものであった。
この島津氏の一方的な起請文の押し付けに対し、三司官の一人謝名ウェーカタは、連判を拒否して処刑された。
国政を司る地位にあった謝名は、島津氏の侵入にいたる一連の要求を全て拒絶して薩摩軍と戦った立場にあった者として、
最後までその責任と意志を貫いたのであった。
『琉球・沖縄史』より