【政治】 「地球に生きる人間として」 民主・円より子氏&岡崎トミ子氏、従軍慰安婦について「日本の問題として尽力」と決意語る★2at NEWSPLUS
【政治】 「地球に生きる人間として」 民主・円より子氏&岡崎トミ子氏、従軍慰安婦について「日本の問題として尽力」と決意語る★2 - 暇つぶし2ch828:名無しさん@九周年
08/11/29 17:13:20 RBF47ucX0
『従軍慰安婦と戦後補償(1992年7月 高木健一著)』
「生活は貧しく、12歳の時100円で売られた。ソウルの金持ちの家で小間使い。 1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、その家の娘の身代わりと なって満州に連行され慰安婦となった」

『朝日新聞インタビュー(1995年7月24日夕刊)』
「威興の女学校在学中の17歳の時1939年に国民徴用令で動員され軍需工場に行くと思っていたが着いた所は吉林の慰安所だった」

『国連・経済社会理事会クマラスワミ報告(1996年1月4日)』
「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として
徴用されたのだと思いました。3年も働いたころ、ある日一人の日本兵が自分のテントについてこいと要求しました。かれは着物を脱げと私にいいました。
 たいへん怖かったので抵抗しました。私はまだ処女でした。」

TBS番組『ここが変だよ日本人(2001年5月16日)』
「私は19歳で学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、仕方なく慰安所に行ったんだ!」

『日韓社会科教育交流団韓国を訪問(1997夏期)』
「満18歳になった時のある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言いました。」

元日本軍「慰安婦」の証言を聞く集会(1997年12月5日)』
「村の班長(日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅かされ、1941年、韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした。」

『黄錦周さんの証言を聞く会(2001年7月17日 東京大学にて)』
「14歳のとき、いわゆる「少女供出」で満州に連行され、皇軍兵士のセックスの道具にされた。つらい体験だった。」

一人のばあさんの年齢や職業が沢山変わっていますね。
これでは証言に信憑性がないのは明白です。


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