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ネットの普及、IT技術の進化により、一般の人が目撃した
マスメディアの取材現場がネット上に晒されるケースが増えている。
また、報道に疑問を持った読者、視聴者がマスメディアに電話をかけ、
その対応をネット上に掲載するケースも多々ある。
従来は覆い隠されていた取材現場、被取材者としての対応が暴かれることで、
マスメディアは大きな危機を迎えている。
今年6月8日、秋葉原で無差別殺傷事件が起こったときのことだ。
たまたま事件現場やその周辺に居合わせた一般の人たちが、携帯電話やデジカメや
デジタルムービーで被害者の様子を含め現場の悲惨な状況を撮影し、
それを赤外線送受信で交換したり、ネットの掲示板やブログや動画投稿サイトに
アップしたりする行為を盛んに行なった。土地柄からITに強い人が多く、
パソコンに内蔵されているウェブカメラで撮影し、その場で
動画配信サービスに接続して現場の生中継を行なった人もいた。
こうした行為に対してマスメディアは「惨劇を前にして不謹慎ではないか」
「被害者に失礼ではないか」と、その〝野次馬根性〟を批判した。
もちろん、人が生きるか死ぬかという状況を前にして撮影をするべきなのか、
それとも何をおいても被害者を救護するべきなのかというのは、プロの取材者であっても、
モラルが問われる根源的な問題だ。実際、野次馬根性に対する批判はネット上でも沸き起こった。
しかし、その一方で、では、マスメディアには一般の人たちの野次馬根性を批判する資格があるのか、という問題がある。
私自身、新聞記者出身で事件現場の取材を何度も経験したのでわかるが、
慣れないうちは一般の人たちと同じように興奮し、
場数を踏むと今度は感覚が麻痺し、殺人現場であろうと笑いながら取材したり、
他社の記者と場所取りで争ったりするようになる。
ところが、紙面や画面では「我々は高邁な社会正義に基づいて報道している」という姿勢が装われる。
従来はそうした現場の実態と報道の建前とのダブルスタンダードが通用した。
たまたま一般の人が取材現場におけるマスメディアの実態を目撃しても、
せいぜい周囲に話すだけで終わっていたからだ。
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