08/11/24 14:26:37 Jfsa/NCX0
「きれいごと」に反対しにくい訳
いわゆる「きれいごと」についても、それを単に処世の方便として表明す
るだけの者から、ほとんど額面通り真に受けている者までがいる。
たとえば地域の美化や発展のために駅前の地区整備などが必要になった場
合、だれしも総論としては反対しがたい。しかし、そのために自分の家屋や
店舗を涙金で立ち退かねばならないとすると、これは猛然と反対したくなる。
こうした「総論賛成、各論反対」のように、自分の利害がからむと掌を返し
たようにホンネを出してくるようなら、見苦しくはあっても現実認識として
それほど歪んではいないだろう。これに対して、総論が賛成なら各論につい
ても利害を度外視して賛成するのであれば首尾一貫するので潔いし見上げた
ものかもしれないが、やせ我慢であったり理想主義に過ぎたりする。それぐ
らいなら両者とも、いっそ最初から自分の利害を正直に打ち出して総論反対
の旗幟を鮮明にすればいいのだが、それはしづらいらしい。
なぜなら公益を前面に打ち出した「きれいごと」には反対しにくいからで
ある。つまり極言すれば「きれいごと」は言論上の統制や暴力に近い。この
ため、きれいごとを錦の御旗のように盾にとって相手を威圧したり何かを強
制したりするたちの悪い正義派も少なくない。