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百済人征東大将軍紀ノ古佐美の率いる五万の大軍を北上川で全滅させ、
鉄武器を奪って田子の浦まで攻め込んだアテルイがいた。しかし次々と
大陸の援助で鉄武器を大量に補給された坂上田村麻呂らと12年にもわたり
戦ったが利あらず。百済部隊に制圧されて滅びた。
アテルイは今の大阪府の杜山まで連行され斬首、さらし首にされたが、
東北に残っていた妻子や残党は、大きな穴を掘らされて生きながら埋められ
惨殺されたのは、パレスチナ難民の群をイスラエル兵が皆殺しにしたのと
まるで同じ状態だった。ただ違うのは、生き埋めの上に土をかけ、
その上に出てこられぬように降伏し奴隷となった者らに踏みつけさせた。
これが今の東北三大奇祭のネブタである。