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中国人が民族性を丸出しにした【通州大虐殺】
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盧溝橋事件から僅か三週間のち、即ち昭和12(1937)年7月29日に「通州事件」は起きた。
張らは親日政府=キ東防共自治政府保安隊のなかに密かに潜り込ませた反日分子と接触を絶やさず、
また親日派のはずの保安隊のなかに共産党の細胞まであった。
反日分子たちは日本軍が通州で空になる機会をじっと窺っていた。
二十九日午前三時、冀東防共自治政府の保安隊は突如、日本軍を襲撃した。
不意をつかれた日本兵は獅子奮迅の防戦をするも、死者三十人あまり。
この戦闘の最中に保安隊は自分達のボスだった殷汝耕を拘束し、同時に日本人民間人の虐殺を開始した。
道時刻、惨状を聞いた日本軍の第二連隊は通州の現場に到着、
あまりのむごたらしい惨殺死体に驚嘆、愕然、唖然となった。
浜田巡査宅では長女が手榴弾で吹き飛び、長男は銃剣で刺され、
夫人は凌辱された後女子師範学校まで引き立てられたが、途中で逃げ出した。
付近の日本食堂では男の子が壁に打ち付けられて頭蓋骨陥没の即死、
五人の女店員は射殺されていた。食堂・旭軒の女店員八人も強姦のあと裸体にされ、
陰部には銃剣がさし込まれていた。他の場所には女の全裸死体が放置され、
全員の陰部が刃物で抉られ、或いは男は眼を抉られ、カフェでも女店員が絞殺され、
全裸のまま死体を放置してあった。或る店では女店員全員が強姦され、
陰部に箸が突っ込まれていたり、口の中に砂を入れられたりして殺されていた。
なかには死体から内臓がはみ出し、蝿がたかった現場もあった。
通州の高級割烹旅館だった「近水楼」では女中四人が射殺後に凌辱され、
天井裏に隠れていた宿泊客十一人は北門付近まで数珠繋ぎにされて連行されたあと虐殺された。
こうして保安隊は事前にリストアップしていた日本人の民家を次々と襲撃し、財産を横領強奪、片っ端から日本人を殺戮し、凌辱を重ねた。
逃げ遅れた日本人は手足を縛られ鼻や喉を針金で突き通され、ひきずられ、二ヶ所に集められたうえで射殺された。