08/11/15 12:18:19 NuBGYfo40
<池田礼子・渋谷節子共訳>
そのときは、橋の上から落ちてくるパンと、チェコスロバキアという自分が生
まれた国とが結びつかなかった。そのことに気がついたのは、戦争が終わってずっ
とあと、何かの折に出生証明書を提示しなければならないときであった。私は、
出生証明書を持っていなかったから、一九三四年五月一一日にチェコスロバキアの
ルポフニャで生まれたことを - 情報と信用に基づいて - 証明すると書かれた供
述書を提出しなければならなかったのだ。この書類に署名するたびに、私は必ず
チェコスロバキアの橋のことを鮮明に思い出した。
<漏れ>
その時はまだ、橋の上から落ちてきたパンとチェコスロバキアという自分が生まれた国とが、
子供だった私の頭の中では結びつかなかった。それに気付いたのは、戦争が終わってからずっと後、
何かの折に出生証明書を提示する必要に迫られたときだった。当時私は出生証明書を持っておらず、
その代わりに自分が一九三四年五月一一日にチェコスロバキアのルポフニャで生まれたことを
証明すると記された供述書を提出しなければならなかったのだ。以後その書類に署名するたび、
私の脳裏ではあのチェコスロバキアの橋が鮮明に思い出された。