08/10/22 15:48:13 lP1iXUer0
>>798
藝術を主観的に捉えれば、自称藝術家の脳内では放尿、落書き、裸ダンス等、自己のなすあらゆる行為が藝術になる。
しかも、そう思うのは全くの自由である。
が、脳内ではなく、これを対世的に発表する段になれば、せめて人を感動させるものだけを発表して欲しい。
狭義では、藝術とは全人類にとって客観性普遍性がある美だけを呼称する筈だし。だから価値があるのだろう。
喩え譲歩して、人の為の藝術を越えて、藝術の為の藝術の概念を認めるにしても、客観性普遍性の制約は免れる事は出来ない。
なぜならば、藝術の発表行為(展示会ではなく撮影行為そのもの)自体が自己の主観的な美を他人に認知して貰う行為だからだ。
かかる他人の認知なき藝術は単なる個人の一表現行為に過ぎないだろう。