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(>>1のつづき)
当時大分県警1300人の警備部隊を指揮したのは、筆者である。
その渦中で、W巡査部長が日教組の闘争本部に監禁される事件が起きた。筆者は部下の
U警備部長らを伴い、即時解放を求めて、制服で交渉に赴いた。すると、闘争本部では
筆者らを武装解除して人質に、と騒ぎ出すしまつだ。筆者は腕時計をみながら「県警の機動隊には
30分たってわれわれが帰らなければ、突入し、全員検挙せよと命じてある。その時は二宮武夫
県議(故人)、貴方に私が手錠をかける」と告げた。間もなくW巡査部長は解放された。
第2は、当時警視庁警備課長だった筆者の息子が世田谷区立小学校で日教組闘士の
女性教師Sから、警察官の子というだけの理由で、長時間居残り、立たされるという体罰を受けた
事件だ。この教師は授業中、「お父さんが警官、自衛官の子は立ちなさい」と命じた。数人が
オドオドしながら立つと、クラス全員に「この子たちのお父さんは、ベトナムで戦争し、学生を
警棒でなぐっている悪い人たちです」といい、「立っていなさい」と放課後、夕方まで立たせていた。
帰宅した息子からこれを聞き激怒した筆者はN校長に抗議の電話をかけた。ところが校長は
「相手は日教組、争わない方がよい」と応えた。筆者が「公立小学校で親の職業による差別・
いじめ教育と、罪のない子供に『立たせる』という体罰について教育委員会に提訴する」と
迫ると、校長は当の教師を拙宅によこした。そして彼女は日教組を盾に、「組織をあげて
警察の権力的弾圧と闘う」と息巻いた。
筆者が「私は一個人の父兄として貴方をクビにするまで闘う」というと、女性教師は突然、
床に土下座して「クビになると食べていけない。みんな日教組の指示によるもの」と、泣訴
哀願したのだ。
また、京都では警官の子は勉強ができても成績は「オール3」だったという事実もある。
自虐史観の日教組は、日本のアジア侵略について、やった方は忘れても、やられた方は
忘れないと言っている。同様に子供たちも忘れていない。日教組は、何の罪もないのに
理不尽に心を傷つけられた警察官、自衛官の子供たちに謝ってから、ものを言うべし。
(さっさ あつゆき、初代内閣安全保障室長) (以上、一部略)