08/10/15 23:01:43 A1q+foKD0
(>>117のつづき)
しかし、こうした態度は、一見韓国(人)を尊重するように見えながら、実は韓国(人)を成熟した、対等な関係にある大人として見ない、倒錯した態度なのではないか。
そうした「賛成はしないが反論もしない」という不作為の態度は、韓国や中国との論争を嫌韓派、嫌中派に委ねてしまい、
極端な感情的反発がさらなる感情的反発を招くという悪循環をつくりだすことに消極的に加担することになったのではないか。
それは、韓国や中国側のあきらかに誤った主張にさえ反論を控えることによって、それを不満に思うごくあたり前の日本の市民の「左」や「リベラル」の論者への不満と不信を招き、
「嫌韓・嫌中派」への同感と支持を助成し、日韓、日中の和解をかえって妨げる結果をもたらしたのではないか。
日本のメディアで韓国の反日ナショナリズムや中国の愛国主義を批判するのは、一般に『諸君!』『正論』『SAPIO』などの「右寄り」のものに限られがちである。
そうした右派のメディアは、しばしば感情的な嫌韓・嫌中論に走り、対立を煽り立てる傾向が強い。
一九九〇年代の日韓、日中関係の悪化は、リベラル、穏健な保守派が沈黙するなかで、
双方のナショナリスティックな部分が感情的に相手を攻撃し合い、それがさらなる反発を呼ぶという悪循環によるものが多かった。
こうした悪循環を克服するためには、みずからを顧みて過去の過ちを率直に認めるリベラルな精神を持った論者が、自己批判をふまえたうえで、
韓国や中国のあきらかに不当な主張、誤った議論には節度をもって丁寧に反論するという姿勢が強く求められるのである。
大沼保昭 著 『「慰安婦」問題とは何だったのか』 212~214ページ