08/10/05 23:15:42 Mm80MgCT0
第一は、幕府が松島(現竹島)の存在を初めて知ったのは、1696年1月の鳥取
藩とのやり取りの中である。そうである以上、それ以前の時期になる17世紀半ば
に現竹島の領有権を確立したなどといえるはずはない。
第二に、幕府は1695年12月から1696年1月にかけての鳥取藩とのやり取りのな
かで、竹島(鬱陵島)と松島(現竹島)が、鳥取藩に属する島ではないことを確
認した上で、幕府としても日本領ではないとする結論を出して、1696年1月に日
本人の竹島渡海を禁止したのである。
第三に、1877年に明治政府の太政官は、島根県が竹島外一島(現竹島)の取り
扱いについて質問を受け、政府としての調査を行った上で「竹島外一島本邦無関
係」と決定した。
第四に、1905年の領土編入を領有権の再確認という主張は誤りである。幕府も
明治政府も現竹島についての領有を主張したことはなく、逆に1696年と1877年の
2度にわたって日本領ではないことを明らかにした。領土編入の閣議決定にある
のは、無主地であることを確認して領土編入したということである。無主地であ
るという以上、固有領土とはいえなくなる。問題は、その当時、現竹島は無主地
であったかどうかである。