08/10/05 06:01:59 B00DOTjo0
当時関わった右翼団体は、政治団体「武士(、もののふ)の会」でした。
十数台の街宣車が、終日大音量で誹謗中傷をがなり立て、ましてペンキを
境内にばら撒いたり、さらには銃弾を打ち込んだりと、そこまでの行為を、
自主的にするとは常識的に考えても在り得ないでしょう。
無論、その「在り得ない事」をするほど、宗門、特に日顕上人が悪行の限りを尽くした、
という既成事実を作るという意図があれば、それも道理に適っていることですがね。
ヤダさんの回答にもありますが、街宣車の出動依頼には
、一台当たり数十万円程度の「上納金」が必要です。
長くなりますが、日蓮正宗弁護団長 小長井良浩氏のコメントを抜粋して掲載します。
『右翼の行動は街宣に止まらず、迷彩が施された戦闘服に身を包んだ何人かがドーベルマン
二匹を引き連れて境内に侵入し、僧侶や職員を威嚇するなどの行為にも出ました。
彼らの街宣活動には、地元の創価学会男子部員や学会の
富士宮センター職員が同行していたことが確認されています。
また、柳楽和善創価学会副会長がなぜか現場に居合わせて
、右翼の街宣活動を写真におさめるなどしていました。
その日から、彼らは創価学会経営の民宿「こくさい」に泊り込み、正月も含めて連日、大石寺の
周辺道路をぐるぐる走り回り、他宗のお経を流してみたり、軍歌を流したりという行為を続けました。
「武士の会」以外の右翼も翌日から姿を見せ、彼らは「日顕出ていけ」等の演説を繰り返して、
僧侶の修行や職員の業務に多大な影響を及ぼし続けました。
まさしく、大石寺周辺は”戦争”さながらだったのです。
そんな異常な雰囲気の中で、宗門は断固として怯まず、日顕上人の決意のもとに
十一月二十八日には創価学会への破門宣告を出すに至りました。
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